平成箱根駅伝を振り返る

箱根駅伝至上主義


今の学生選手は世界と戦うという目標が、本音と建前で一緒になってきた訳だが、15〜6年前は恐らくだが、本音は箱根駅伝が最大目標、建前は五輪や世界陸上というのが多いような気がした。

 

理由としては、箱根駅伝のスピード化が挙げられる。15〜6年前と比べると、総合タイムは10分以上速くなっている。これは学生のレベルが上がってきたという事。

 

更に、マラソンに挑戦する学生も増えて来た。MGC出場権を中央大在学中に取得した、堀尾健介(現トヨタ自動車)や、その他にも多くの大学生選手が今年3月の東京マラソンに参加していた。これは、来年の東京五輪の出場を目指していたからこその結果だろう。13年の東京五輪開催決定が日本マラソン界を変えたように思う。瀬古利彦氏も、若いうちにマラソンに挑戦して欲しい、とはよく言っている。それは、25歳の時に身体能力のピークが来るので、それとマラソンのピークを合わせようという物。

 

後は、大迫設楽世代が変えたのではないか?大迫傑(現ナイキ)は、箱根駅伝よりも五輪を目指している選手だった。しかし、箱根駅伝でも任された区間をきっちり走る。

 

やはり20kmを走られなくて、42km走られないと痛感する。1km1kmを無駄にしない。そんな選手が生き残って行くのかな?と思ったりする。