平成箱根駅伝を振り返る 平成になり変わった事

2000年代に入るとある事をしだす選手が増える。それはサングラス。本当に00年代から増え出した。

 

最初に掛けた選手は、法大の徳本一善(現駿河台大陸上部監督)だと言われている。ただ彼はサングラス以外にも、茶髪にピアスというスタイルで注目を浴びていたが。

 

聞くところでは、東洋大はサングラス禁止。頑張っている顔を恩師や親、友達に見せる為だとか。早大日体大、駒大等の伝統校でもあまり見ない。でも当時はサングラスは斬新だったそう。

 

父子鷹も平成に入ってから。初めて出て来たのが16年92回大会で、17年93回大会では2世対決が実現。山学大の上田監督の次男、上田健太(現日立物流)と大東大の奈良監督の長男、奈良凌介(現4年)が山の5区で対決。上田健太に軍配が上がった。

 

因みに両方の監督は5区で区間賞を獲得している。ただ、蛙の子は蛙とは行かなかった。これからも父子鷹は増えそう。