平成箱根駅伝を振り返る 坪田智夫
坪田智夫
今回は坪田智夫氏。彼に対する私のイメージは、法政大学を立て直した人。凄く彼の人柄が好き。
93年神戸甲北高入学。96年法政大入学。00年コニカミノルタ入社。12年法政大陸上部コーチ。13年監督に昇格。坪田の三代駅伝デビューは96年の出雲駅伝、1年生ながら2区を任され10位。箱根駅伝では5区を任される。しかし、14位で襷を貰ったせいか、力が出し切れず、区間14位に終わり往路も最下位となる。
2年時は三大駅伝に出られず。箱根も予選敗退に終わる。
3年時の箱根では華の2区を任される。1区徳本一善(現駿河台大陸上部監督)が10位で貰った襷を区間3位の走りで5人を抜いた。しかしチームは往路11位、更に復路鶴見では繰り上げスタートに遭い総合14位。
4年時は主将を任される。全日本大学駅伝予選会を3位、箱根駅伝予選会は2位で通過。全日本、箱根ではエース区間の2区を任される。1区徳本一善が区間賞の走りでトップで坪田に襷を繋ぐ。坪田も区間賞の走りで先頭を守る。3区迄はトップ。しかし往路は6位、総合10位で29秒差でシード権を逃してしまう。
00年にコニカミノルタ入社後は、主にトラック種目で活躍する。86回日本選手権では10000m優勝、03年はパリ世界陸上で10000m代表(18位)。また01〜03年のNY駅伝コニカミノルタ3連覇、06、08年の優勝にも貢献した。
12年現役引退後、法政大陸上部長距離部コーチに就任。10年の出場から遠ざかっていた箱根駅伝に復活させ、5区関口頌吾の8人抜きなども有り、7年振りにシード権を獲得。
しかし14年の90回大会では11位に終わり、その年の予選会も12位で敗退してしまう。翌年の予選会では7位通過するも、1区20位から波に乗れず総合19位。
しかし、翌年は総合力で総合8位。更に18年94回大会は5区青木涼真(現4年)の区間新、6区佐藤敏也(現4年)の活躍で総合6位。今年の箱根も、山の2区間で好成績で走り、3年連続シード権獲得。更に教え子の坂東悠太(現富士通)がクロカン日本選手権で優勝。
00年代後半から10年代前半は、あまり活躍出来なかった法政、それを見事に立て直し、坪田の無念は後輩兼教え子によって晴らされた。
出雲 全日本 箱根
1年 2区10位 xx 5区14位
2年 xx xx xx
3年 xx xx 2区3位
4年 xx 2区8位 2区1位
xxはチーム不出場を示す