平成箱根駅伝を振り返る7

平成箱根駅伝になって変わった事1

陸上の虎解説

今では当たり前に見られる箱根駅伝の風景も、実は平成になってからの物が多々ある。

 

一つは、外国人留学生の起用。これは平成元年大会で初めて山梨学院大が、オツオリを華の2区で使った。彼は8人抜きを達成し、トップで襷を渡した。

 

私の忘れられない外国人選手、一人目はステファンマヤカ(92年〜95年)。1.2回で書いた渡辺康幸と、同区間を何度も走っては区間賞を争っていた。出雲駅伝ではマヤカが勝っていたが、箱根駅伝となると渡辺康幸(住友電工監督)の方が勝っていた記憶がある。

 

二人目はメクボジョブモグス。(06年〜09年)彼は瀬古利彦氏(現DNA総監督)以来となる、2区で2年連続区間新を達成。今でもその記録は破られていない。一年時も箱根の2区で最初の1キロを2分30秒台で入り、責めの走りをして12人抜きを達成。マヤカ以来の逸材だと思った。

 

三人目はワーグナーデレセ。(16年〜19年)今年の3月迄は拓殖大、4月からはひらまつ病院で競技を続ける。彼は異例中の異例、外国人留学生初となる主将を務めた。最初は言葉の壁に苦労したそうだが、副主将や監督に支えられて、出雲では3区区間賞、チームとしては箱根駅伝2年連続シード権に貢献した。

 

次回もまだまだ変わった事を書きます。