平成箱根駅伝を振り返る3〜4

 

今井正人

00年、原町高入学。03年、順天堂大入学。07年、トヨタ自動車九州に入社。高校駅伝での出場歴は無いが、彼は元祖山の神と呼ばれ、箱根駅伝で大いなる成績を残した。

 

一年時に、上り坂を練習で走っていると、澤木啓祐総監督から「お前は5区!」と言われ、正直嫌だったと語っている。結局、一年時は華の2区区間10位、05年の2年時は5区で、15位で貰った襷を一気に4位迄押し上げ、5区の区間記録を9年振りに更新。3年時は、距離が2.5km伸びた5区に挑戦。6位から5人を抜いて往路優勝を勝ち取る。その後復路は、8区の選手が脱水症状に陥り、順位を下げて総合4位。4年時は主将を任され、トップ東海大との4分差の5位で襷を貰うと、4人を抜いて往路優勝。自身の持つ区間記録も更新。その後も9、10区も区間賞で順天堂大は6年ぶり総合優勝を果たす。

 

入社後は08年からNY駅伝を走り、僅か入社二年目の08年に主将に任命される。10マイルレースでも、五輪代表候補の有力選手を抑えて優勝した。その後彼は、目標としていた五輪男子マラソン日本代表を目指し、入社二年目でマラソンに挑戦。初めは終盤失速したり競り負けたりと苦しい結果に終わった時もあったが、挑戦6年目で初のサブ10を達成。そして15年の東京マラソンで2時間7分台で日本人トップでゴール。念願の世界陸上日本代表に選ばれる。しかし大会3週間前に髄膜炎にかかり欠場。悔しさをバネにしてリオ五輪代表を目指すも、リオ五輪の代表には選ばれず。それでもNY駅伝では、チームのピンチを救う快走を見せた。

 

そして19年3月、東京マラソン日本人3番目でゴールし、MGC出場権を獲得。彼の新たなる足音が響き始める。その足音には、山の神という肩書きはもう無い。今井正人として挑むのだ。

 

今井正人 三大駅伝全成績

 

               出雲              全日本         箱根

1年       3区区間7位     xx              2区区間10位

2年      6区区間4位  8区区間6位   5区区間1位●

3年              x              x               5区区間1位●▲

4年    6区区間7位  8区区間4位     5区区間1位●▲◉

 

xはチームは出たが、個人では不出場。xxはチーム自体が不出場、●は区間新記録、◉は総合優勝を果たした事、▲は往路優勝を達成した事を意味する。