平成箱根駅伝を振り返る1、2

 

 

渡辺康幸
89年市立船橋高校入学。92年早稲田大学入学。96年sb食品入社。04年引退、SB食品退社後、早稲田大学陸上部長距離部門監督就任。

 

最初の3年の箱根駅伝はシード落ちの時代があったが、07年にシード復活。08年には往路優勝、11年には大学駅伝三冠を達成。15年からは住友電工陸上部監督を務める。早稲田大学の教え子には、北京五輪5000、10000m代表の竹澤健介、男子マラソン日本記録保持者大迫傑がいる。

 

渡辺は高校駅伝には1年から三年連続で、大学三大駅伝では一年時の全日本から連続出場。全て区間2位以内。区間賞7回。しかし社会人時代は度重なる故障により、04年に引退を表明。同時に早稲田大学陸上部長距離部門監督に就任。しかし、就任直前の箱根駅伝では総合16位と、とても上位を争えるチームでは無かった。キツい練習を強いれば、故障者や退部者が増える一方。

 

そんな中、報徳学園のエース、竹澤健介のスカウトに成功。竹澤は一年生ながら主要区間を任される。竹澤健介のスカウトに成功した物の、その年の箱根駅伝は往路をシード権内で折り返したが、復路は失速し総合13位。4年連続のシード落ちとなる。それでも渡辺康幸氏の立て直しが実を結び、全日本大学は2年振り、箱根駅伝予選会は15年振り1位通過を果たし、07年大会では5年振りにシード獲得。08年には竹澤健介、駒野亮太の3区、5区の区間賞で往路優勝こそ得たものの、復路9区で駒澤大に逆転を許し総合2位。就任7年目の10年に佐久長聖のエース大迫傑が入学。彼の活躍で出雲、全日本を制し、11年大会では、1区区間賞。4区迄はトップ独走。5区で東洋大に逆転され、往路優勝こそ譲ったが、総合では21秒差で制し、三大駅伝三冠を達成した。その後、大迫傑を海外で練習したいという希望を叶えたりと、大学陸上界に力を注ぎ、15年3月に早稲田大陸上部監督を退任。同年4月からは、住友電工陸上部監督を務め、NY駅伝に向けて日々指導している。

 

選手には青学大時に箱根駅伝4連覇に貢献した田村和希や、三冠達成時に早稲田大で走った平賀翔太らがいる。まだまだ彼の挑戦は終わらない。

 

渡辺康幸三大駅伝全成績

          出雲               全日本             箱根   

1年        x            2区区間2位  ◉   2区区間2位▲◉

2年   2区区間1位  1区区間1位 ●◉  1区区間1位●

3年   6区区間2位   8区区間1位●◉  2区区間1位▲●

4年   6区区間2位   8区区間1位● ◉  2区区間1位▲

 

●は区間新記録、◉は総合優勝を果たしたという事、xはチームは出たが個人では不出場、▲は往路優勝を達成した事、を示す。