平成箱根駅伝を振り返る
塩尻和也
塩尻和也
衝撃的だったのは1年時の92回箱根駅伝予選会。日本人1年生一位。チームでも一位。その後一年生ながら2区を任され区間5位。順天堂大で一年生2区で区間一桁順位は本川一美以来24年振りの事だった。
2年時の出雲では3区区間2位。箱根駅伝では8人抜きの区間5位。更にリオ五輪の3000mSCの日本代表に選出。実に8年ぶりに現役箱根駅伝の選手から五輪への出場だった。
3年時は出雲3区区間賞。全日本2区では11人抜きの区間3位。しかし箱根駅伝では中盤失速し区間10位、僅か14秒差でチームはシード権を失う。
4年時、95回箱根駅伝予選会。塩尻は先頭の留学生集団に付いて行き、日本人一位の総合2位。するとその勢いそのまま、全日本では9人抜きの4区区間賞。そして95回箱根駅伝。塩尻は19位で襷を受け取ると、留学生が前にいるという難しい展開の中、ペースを安定させ11人抜きの区間2位。99年に打ち立てられたら日本人2区最高記録を20年振りに更新した。
エースはこういう人の事を言うんだなと、改めて思わされる選手でした。
出雲 全日本 箱根
xxはチームが不出場、●は区間新記録を樹立した事を示す