平成箱根駅伝を振り返る

平成箱根駅伝を振り返る


2区を走る選手とは?
箱根駅伝の華の2区は、エース区間と呼ばれる。ただ、エースと呼ばれる人はどの様な人であるのか?定義が曖昧な所がある。そこで、私なりの華の2区を走るエースの定義をしていきたい。

 

今年の2区を走った選手23人の内、1万メートル自己ベスト29分切りの選手は、21人。更に、27分台の選手は3人。その内日本人選手は1人。更に、ロードのハーフマラソンでも成果を挙げられる。

 

例を挙げると、梶谷瑠哉(青学大→スバル)は18年3月の日本学生ハーフを制していて、畔上和弥(帝京大トヨタ自動車)は、18年関東インカレハーフマラソン2位、土方英和(國學院大4年)も19年関東インカレハーフマラソンを制して、山下一貴(駒大4年)も土方に次ぐ2位となっている。堀尾健介(中大→トヨタ自動車)も今年の東京マラソンで日本人1位でゴールし、MGC出場権を獲得した、その様な選手が2区を走る。

 

トラックとロード、両方をキッチリ走られる選手で、更には30kmを走破できる力がある選手。それがエースと呼ばれる。

 

恐らく、トラックが得意な選手は3区へと回されることが多いと考えている。上野優一郎(立教大駅伝部監督)、設楽悠太(HONDA)、佐藤悠基(日清食品)、大迫傑(ナイキ・オレゴンプロジェクト)、阿部弘輝(明大4年生)、竹澤健介(大経大陸上部コーチ)と言ったところか。

 

(佐藤と設楽は、マラソンでも成果を上げて、MGCに出場したが、学生時代はトラックを主に走っていた印象がある。実際に、佐藤はロンドン、設楽はリオデジャネイロ五輪にトラックで出場している。)