平成箱根駅伝を振り返る8

給水も、97年大会から行われる様になった。1920年から96年迄は、実は給水は認められていなかった。何故、給水が行われる様になったのか。一つの理由としては熱中症の知識がスポーツ健康学内で広められて行った事。

 

95年のユニバーシアード福岡大会の女子マラソン鯉川なつえ選手が熱中症で倒れた事件があり、そこから熱中症の知識がスポーツ健康学内では話題になった事が挙げられる。

 

更に96年大会では、史上初の2校が途中棄権。その前年にも1校途中棄権。昭和64年間で3度しか起きなかった途中棄権が、平成に入るとたった7年間で3度も起こった。そこでこの事態を解消するために給水が設けられた。

 

しかし、逆にそれは悲劇の呼び水となり、平成30年間で途中棄権は12回も起こった。2008年84回大会は3校が途中棄権。原因の一つに選手のスピード化が挙げられる。30年前は、10000m30分ギリの選手は、外国人留学生と一部のエース。それでも29分台。今では28分台無いと走れない。更に27分台選手も何人か出て来た。

 

後は注目度。これだけ箱根駅伝が注目されると、調子悪くても走ってしまう選手もいるだろう、と思う。大学生活の中で出られるのは4回迄、中には一回も走らずに卒業する選手も多くいる。折角のチャンスを無駄にしたく無いが為に、自身を犠牲にする気も分からなくは無い。いや、私でも絶対そうであろう。言葉で「無理するな!」というのは簡単、しかし心の中には、計り知れない物があるのも事実。